おもこん

おもこんは「思いつくままにコンピュターの話し」の省略形です

骸骨ビルの庭




「骸骨ビルの庭」(宮本輝)を読みました。

何人もの戦災孤児を杉山ビルヂング(骸骨ビル)で育てた2人の男、阿部轍正と茂木泰造の生涯を、私(八木沢省三郎)は孤児たちの話から知ることとなる。それは、戦後から遠く離れた平成6年のことである。孤児たちの話を日記に綴りながら、貧困と戦い、血のつながりのない孤児たちを育てた2人の生き方に私は感銘を受ける。

この本は、小説という形をとりながら、世界観(あるいは一種の宗教観と云っても良った方が妥当かもしれない)を伝えようとしていると、私は思いました。もちろん、この小説の中に特定の宗教の名前が出てくるわけではありません。しかし、この小説の中に出てくる阿部轍正は、明らかに人間のモデルとして描かれています。そして、このようなモデルは、宗教的説話や説教の中に往々にして出てくるものです。さらに、彼が宗教的なモデルであることは、その生き方に現れています。彼の話の中に、戦争で生き延びて(生かされて)戦災孤児を育てることを(神のような何者かによって与えられた)使命、あるいは運命のように感じて、困難を乗り越える決意をする、というくだりがあるのです。
人生のあるべき姿というものに問題意識を持っている人にとっては、この本は読む価値があると言えます。もちろん、批判的に読むことも可能であり、それは読み手の自由に属する事柄です。
私は、とても小説を書くような能力はありませんが、仮に私が「骸骨ビルの庭」を書いたとすると、同じストーリーであっても、全く異なる観点からの作品になったと思います。私ならば、阿部轍正を受動的でなく能動的な人間として描くでしょう。もし、あなたがこの本を読んだなら、どう思いますか?