劇場で観る事ができなかった映画「レスラー」をDVDで観ました。ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を取った他、数々の賞を受けています。プロレスの試合では、ショーとしてのサービスのため、血まみれになる場面が出てくるので、血に弱い人にはお勧めできないかも。
主人公のランディはベテランプロレスラー。すでに全盛期は過ぎているが、観客へのサービスのためには、血を流すことをも厭わない。プロ魂を失ってはいないのだ。彼の心の支えは、ファンの声援を受けてリングの英雄となる瞬間であるが、実生活では恵まれず孤独であった。彼は、ハードな試合のあと心臓発作を起こして医者からプロレスを禁じられてしまう。自分の最も大切なものを取り上げられてしまった彼は、疎遠だった娘との和解を図ったり、行きつけのストリップの女キャシディに慰めを求めたりするが、結局彼にはプロレスしかない。しかし、・・・・
孤独というものに対して、人間は無力だということが、この作品から改めて思い知らされました。アメリカの映画を見て思うのは、アメリカでは家族というものが、心の支えとして、特別な意味を持っているようです。アメリカではdifference(他人との違い)が良いことであると考えられており、いかに他人とは違う考え方ができるか、個性を発揮できるかをアピールすることが重要だといわれています。日本では「思いやり」とか「以心伝心」といわれるように、コミュニケーションが仕事上も重要視されます。アメリカでもコミュニケーションは大事でしょうが、日本とはちょっと違うようです。そこで、アメリカでは競争の激しい社会に対して、癒しの場としての家族(マイホームという言葉に象徴される)が大切にされているのかもしれません。この映画でも主人公ランディが孤独の中で娘との修復を図ろうとするのは、そうした文化的な背景があるのでしょう。