おもこん

おもこんは「思いつくままにコンピュターの話し」の省略形です

アンコール遺跡群訪問記(17 旅行のいろいろ)

カンボジアという国

今回の旅行では、遺跡の観光だけではなく、カンボジアという国を知ることもできました。今回は最終回として、カンボジアのことを書きたいと思います。

カンボジアの現代史

カンボジアは約90年の間(1863-1953)フランスの植民地でした。その後シハヌーク政権(シハヌーク氏は18才で国王になるが、政治家となるため退位し、カンボジアの首相となる)、1970年~1975年は親米派のロン・ノル政権(軍事クーデターで政権掌握)、1975年~1979年はポルポト政権、その後内戦が続き、1998年にポルポトの死去に伴い、ポルポト派が謝罪し内戦が終了しました。この間に国土は荒廃し、多数の人が死にました。特にポルポト政権時代には大量の虐殺が行われました、詳しいことは省略しますが、日本の戦後と違い、カンボジアは非常に不幸な内戦の時代を過ごしてきたのです。

カンボジアの現代史に関わる映画

私はまだ観ていませんが、2つ映画を教えてもらいました。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」 ポルポト派に殺された報道写真家一ノ瀬泰造の映画
「キリングフィールド」 ポルポト時代のジャーナリストを描いたアメリカ映画

カンボジアの社会

このような歴史のために、国民の政治に対する信用はある意味で非常に低くなっています。例えば銀行にお金を預けるということをしません。もしも政権が変わったり、内戦になったりすれば、預けたお金が帰ってくる保証が全くないからです。またカンボジアには年金制度がありません。これは日本とは社会システムが違うためだと思いますが、新たに年金制度を作るのは相当に困難だと思われます。なぜなら、もしも内戦になるようなことがあれば、積み立てた年金がきちんと払われるかどうか分からないから、掛金を払う人がいないと見込まれるからです。こういう信用に基づく制度が成り立つためには政治が安定していなければならないということが良く分かります。
そのかわり、仏教を軸にした地域社会が人々を支えています。お坊さんはこどもたちに正しいこと間違ったことを教えます。そして悪いことをすれば地獄に堕ち良い行いをすれば天国に行けると説きます。宗教的な倫理観が社会を安定させていると思われます。さきほど年金制度がないと書きましたが、その代わり地域のコミュニティーが人々を支えています。そもそも日本と違い、カンボジアは貧しい国ですから、生活のために多くのお金を必要としません。このような社会では、お金よりも地域の助け合いの方がより大切なのです。

カンボジアの農村

シェムリアップは農村地帯ですが、最近は観光によって発展してきました。シェムリアップから、バンテアイ・スレイまでの車窓からの眺めはまさに農村地帯そのものです。農村は自給自足で成り立っています。農家には税金がかからないそうです。そして、貧富は3つの段階に分かれ、それはその人の住む家を見れば分かります。コンクリートの家は金持ち、木の家は普通、椰子の家は貧しい家。農村で暮らす分には学問のあるなしはほとんど関係ありません。ですから、子どもに対する教育熱は低く、とくに女の子に勉強させようという考えがありません。また、カンボジアの教育制度は日本と同じ6・3・3制で小中が義務教育ですが、学校が不足して就学率は高くありません。高校は町でなければありません。大学は、2002年に私立の大学ができ、その後増えてきています。

結婚と家庭

女の子は15から16才で結婚します。大体見合い結婚。男性は相手を選べるが、女性は選べません。親に決めてもらいます。男性は相手の女性の親に結納金を払います。男性は結婚すると妻の家に入ります。結婚式は3日くらいかかるそうです。

こどもの無料病院

シェムリアップからアンコール・ワットに行く途中にこどもの無料病院があります。15才まで無料です。カンボジアでは2000年まで5才未満のこどもの死亡率が13%でしたが、現在では8%まで減っています。カンボジアの平均寿命は62才。死因のトップは交通事故で1日あたりの平均死者数は6人だということです。以前はエイズによる死亡が多かったそうです。

アンコール遺跡のガイドさん

今回のガイドさんは既婚男性でお子さんがお二人いるそうです。とても物知りで遺跡はもちろんのことカンボジアの歴史、経済、社会、さらに日本のこともかなり勉強してしている様でした。日本語はちょっと聞き取りにくいところもありましたが、基本的に会話はOKでした。それに一番大切なことですが、親切な人でした。お世話になりました(^^)。