おもこん

おもこんは「思いつくままにコンピュターの話し」の省略形です

分身




古い本ですから、今更、という声も聞こえてきそうです。東野圭吾さんの「分身」を読みました。

鞠子と双葉の話が交互にでてきます。それが独立してはいるが関連した話なのです。ところで、我々は誰一人として自分の出生の瞬間を記憶していません。にも拘らず自分は両親から産まれたと堅く信じているのです。主人公の鞠子と双葉はそのことに疑問を持ち、謎解きに挑戦します。鞠子と双葉の出生の秘密を追いかけてストーリーは展開され、最後に1つになったところで話は終わります。

出生を探るというのは自分探しの旅であって、その人にとって本質的な問題です。誰でも「自分はなぜ産まれてきたのか」「自分は何のために生きているのか」を考え悩む時期があると思います。しかし、鞠子と双葉の場合は哲学的な問題として「自分はなぜ産まれてきたのか」を問うているのではありません。まさに、言葉通りに「自分はなぜ産まれてきたのか」を知らなければならなくなっていったのです。

ここから先は、興味を持った人が、ぜひ本書を読んで確かめてみて下さい。